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櫛渕という名字(苗字)の由来 (その2) 

   『櫛渕』成り立ちの諸説

櫛渕の地名がある徳島では、鎌倉時代の承久3年(1221年)に起きた承久の乱の後、新補地頭として着任した『秋元二郎兵衛尉』が櫛渕村に築城し、名字を櫛渕に改めたという説が主流となっているようだ。


徳島藩蜂須賀家に代々仕えた櫛渕家の子孫が記した古文書『成立書系図共 櫛渕駒藏』によると、1502年(文亀2年)に、信濃国上諏訪の豪族で『秋元和泉守盛貞』という人が、武田家に追われ三好家を頼って阿波へ入国し、那西郡櫛渕村に築城し、名字を櫛渕に改めたというもの。

これは『櫛渕駒藏』が360年も前からの事を、文久元年(1861年)に自家の伝承をもとに作成し藩へ提出したものであり、秋元和泉守盛貞から始まる成り立ちの部分の記述には疑問もある(駒蔵が書いた書物以外に資料が見当たらない)


現在『櫛渕』の名字が最も多く存在している群馬県利根郡みなかみ町にある、後閑の櫛渕宗家の伝承では、『飯篠長威斉家直(いいざさちょういさいいえなお)』(1387年(元中4年)~1488年(長享2年)千葉県香取市)から神道流を学び、代々櫛渕家はこれを家伝としていた。

剣豪『櫛渕彌兵衛宣根 虚中軒』(1748年(寛延元年)~1819年(文政2年))は、父宣久よりこの神道流を学び、長じては沼田藩の『秋尾善兵衛利恭』(あきおぜんべえとしやす)から微塵流を習得したという。

それが後の神道一心流に繋がった。

ということは、虚中軒が剣術で活躍した時代より300年前の1400年代には既に、徳島から千葉か群馬へ移住していたということになる。

しかしこれについても、あくまでも伝承にすぎない。



いずれにせよ櫛渕という名字は、現徳島県小松島市櫛渕町(くしぶちちょう)で発祥し、各地に拡散したことには違いない。

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