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櫛渕という名字(苗字)の由来

櫛渕という名字(苗字)は珍しい。

クシブチと読むが、居住地域から離れると、発音しても一回で理解してもらいない場合が多い。

「フシブチさんですか?」とか、「クシブシさんですか?」とか(笑)

漢字で書いても「何て読むんですか?」と問われる場合もある。

ファミレスなどで順番待ちの名前を書くときは、まず本名は書かないです。

カタカナで書いてもすんなり読んで貰えない場合があるので、奥さんの旧姓を書いたりする訳です(笑)



名字由来net』の調査によると、櫛渕では名字の多い順【全国順位】が17,182位で、【全国人数】はおよそ300人だそうです。

【都道府県別では群馬県】が最多で140人。その内【みなかみ町】が最多で80人でした。

櫛淵では【全国順位】が18,468位で、【全国人数】はおよそ260人だそうです。

【都道府県別では群馬県】が最多で160人。その内【みなかみ町】が最多で70人でした。



名字(苗字)とは、中世、支配していた土地(本貫地という)の所有権を主張するために、その地名を名乗り、代々継承したもの。

それでは櫛渕という地名は一体何処に?

全国で一番多く櫛渕が住んでいるのに、この土地にはこの地名がありません。

さっそく検索してみると、【徳島県小松島市】にありました。

地名の由来が、田んぼ等の平地に丘陵がいくつも櫛目状に連なって入っている場所の渕ということなのでしょう。

【櫛渕八幡神社】や【櫛渕城址】などもあるようです。



よく調べてみると、元々は櫛渕の名字じゃなかったらしいです。

一説には、鎌倉時代の1221年(承久3年)に【承久の乱】が起こり、その後に幕府の命により、阿波国の櫛渕村に新地頭として秋元二郎兵衛尉という人が赴任させられたそうな(どこから来たのか知りませんが)。

櫛渕八幡神社のところに櫛渕城(別名:秋元城)を築城し、名字を櫛渕に改めたと。



もう一説は、1502年(文亀2年)に、信濃国上諏訪の豪族で秋元和泉守盛貞という人が、武田家に追われ三好家を頼って阿波へ入国し、那西郡櫛渕村に築城し、名字を櫛渕に改めたというものです。

姓(かばね)は平氏です。

このときは、室町幕府の管領であった細川政元の旗下にあったとのこと。

盛貞の嫡子は櫛渕紀伊守盛之といい、三好家の家臣となりました。

盛之の嫡子の櫛渕左近佐成公も三好家の家臣でしたが、1582年(天正10年)に【中富川の合戦】で長宗我部元親軍を相手に討死したそうです。

三好家が衰退し、その後に入った蜂須賀家の家臣となった櫛渕次良五郎松實(成公の子)が家督を継ぎました。

松實は1592年(文禄元年)の【文禄の役】(秀吉による朝鮮出兵)で、主家の蜂須賀家政と共に参戦し、彼の地で戦死したということです。

松實は、1585年(天正13年)に起こった仁宇谷の百姓一揆鎮圧に貢献した恩賞として、那西郡内で300石の知行地を与えるという宛行状(あてがいじょう)を受け取りましたが、その約束は数年後に取り消されてしまったようです(仁宇谷一円が全て家老山田八右衛門の知行地になったためでしょう)。

櫛渕家初代蜂須賀家家臣である松實の家督を継いだのが、二代目の櫛渕所左衛門之盛でした。

以後時代は下って、八代目の櫛渕駒藏幸行が徳島藩(蜂須賀家)の命により、1861年(文久元年)に自家の歴史を記した【成立書系図共】という書類を作成提出しています。

以上については、この【成立書系図共 櫛渕駒藏】(徳島大学附属図書館資料・蜂須賀家家臣団家譜資料)及び【文書館の逸品展 秋本家文書】(徳島県立文書館資料)を参考にしています。



秋元さんが櫛渕に名字を変えてから、長らく蜂須賀家の家臣として仕えて幕末を迎えた人達。

知行地としての櫛渕の土地が無くなってしまい、いったん蜂須賀家を離れて大坂に退居し、再び阿波に戻って名字を秋元に戻し、再度、蜂須賀家の家臣として迎えられて幕末を迎えた人達。

櫛渕から分家して他の土地へ移住し、名字を秋本と変えた人達。

櫛渕のまま群馬の地へ移住した人達。

他にもまだあるかもしれません。

それぞれが異なる方向に歩んだようです。

しかし、なぜ遠く離れた群馬まで来たのか、櫛渕のその後のことはよく分かりません。



ちなみに、こちらに移ってきた人の子孫で、櫛渕彌兵衛宣根(やひょうえ のぶもと)といい1748年(寛延元年)生まれ、虚中軒(こちゅうけん)と号した剣豪がいます。

全盛期には江戸で門人451名の剣術道場を開いていたそうです。

1792年(寛政4年)には一橋徳川家剣術師範役を勤めていたそうです。

この櫛渕家では、明治まで代々当主は彌兵衛と名乗ったそうです。

家紋は阿波国時代の櫛渕家の家紋と同一でした。

知らなかったのですが、私共のような分家の立場では、その裏紋を使用していました。



櫛渕家紋
櫛渕家家紋

櫛渕家紋(裏紋)
櫛渕家裏家紋

Comment

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  • - [#] |
  • |
  • 2018 11/26 (Mon) 19:43
Re: 櫛渕の由来について

Ayaさん、コメントありがとうございます。
やっぱり興味が湧きますよね!
後程メルアドをお送りいたしますので、よろしくお願いいたします。

  • buchi [#-] |
  • URL |
  • 2018 11/26 (Mon) 20:17
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